Live is Off
エディ・アイカウの歴史
エディ・アイカウは、オアフ島ノースショアのワイメアベイの最初の公式ライフガードとして知られ、弟のクライドと共に何百人もの命を救いました。また彼はサーファーとして世界で最も大きな波に乗り、1967年から1978年までノースショアの全てのビッグウェーブを制覇した伝説的な人物です。  エディは、初期のIPSプロサーフィンの世界ランキングで12番目のランクインを達成し、1977年デューク・カハナモク サーフィン選手権でヒート最高点をマークし優勝しました。 彼は1978年、ポリネシア諸島を回る文化遠征を目的としたホクレア号の一員として選ばれ、1978年3月16日オアフ島のマジックアイランドからタヒチへ向かいました。その日は天候も悪く、ホクレア号は外洋にでてからすぐに荒海に遭遇してしまったのです。カヌーは転覆し、荒れた海の中、エディは他の乗組員を助けるためにサーフボードで島に救助を求めに向かいましたが、再び戻ってくることはありませんでした。その後すぐにエディのためにハワイの歴史上最大規模の海空共用の捜索活動が行われましたが、エディの姿を見つけることはできませんでした。

1984年、エディの栄誉を称え、クイックシルバーはサンセットビーチでメモリアルイベント設立しました。翌年、イベントをワイメアベイに移し、それ以来定期的に開催されるイベントとなっています。そして2014年に30周年を迎えました。
生い立ち・兄弟
1946年5月4日、エディは5人兄弟の2番目としてマウイ島で生まれ、海辺のレクリエーションと音楽を愛する家庭に育ちました。小柄で穏やかな性格でしたが活発な少年でもあり、兄弟の誰もが認めるリーダーになっていきました。早くからサーフィンを覚えギターを弾くようになりました。男兄弟達はいつも、エディに負けまいと奮闘していました。

「エディはリーダーであり、スターだった。そして競争が何よりも大好きだった。追いかけっこでも水泳でも常に全力を振り絞って、負けることがなかった。」と弟クライド氏は述べています。
家族
エディは、どんな時でも家族を気にかけ、大切にする、とても家族思いの男でした。70年代、彼が参加するビッブウェーブの大会を始め、海外遠征が必要なサーフィンの大会でも、いつでも家族が一緒に行動していました。そして、エディを始めアイカウ家は、血のつながりのなくとも彼らのもとに訪れた人々を家族同様に大切にしたのでした。 ハワイ語の”オハナ“は家族という意味。本当の意味で、つながりを分かち合い、大切にし、お互いに助け合うことを厭わず、親しい友人や仲間のことを言います。 エディはこの言葉を象徴する、思いやりに溢れる人間性を持っていました。
ライフガード
1967年に、エディは、ワイメアベイの最初のライフガードになりました。1969年に弟のクライドも同じくライフガードになりました。そして2人は、エディがホクレアの航海に出た1978年までの10年間一緒に働きました。ジェットスキーもなくボードと足ヒレしかない時代に、10年間に渡り1人の命を落とすことなく海を守り続けました。
ビッグウェーブライダー
ビッグウェーブに乗ることはエディにとってコンテストで優勝するためでなく、エディにとっての自分のヒーロー達、グレッグ・ノール、マイク・スタング、ジョージ・ダウニング、ジョン・ケリー、サミー・リー のような彼の人生に影響を与えた偉大な人物達を超えることが目標だったのです。1967年にエディは、ワイメアベイでビッグウェーブに乗り、世界一の記録を作りました。そして今日に至るまで、 この1967年11月19日の記録は誰にも破られていません。

"「私は、今日まで全てのビッグウェーブに乗ってきた。2009年にかつてないビッグウェーブが発生し、おそらく1969年と同じくらいのサイズだったかもしれないが、間違いなくクリーンではないし難しい波だった。当時のエディの写真を持っているが、12フィートのボードの約5倍の大きさくらいの波だった。当時、ジェットスキーはなかったんだ。だからパドルのみで波に乗ったんだよ 」と弟クライド氏は語っていました。"
ミュージシャン
ハワイアンミュージックはアイカウの生活の大きな部分を占めていました。エディとクライドは、パーティーやルアウで社交的でとても有名でした。彼らはサーフボードやギターで世界を旅しました。70年代のハワイは、ハワイの歴史とアイカウの家族にとって素晴らしい時代でした。そしてその当時の音楽は、巨大な波がきた時の表現をしているものもありました。ノースショアは普段は穏やかなビーチですが、時に35フィートにもなる巨大な波がたちます。もちろんビーチには誰もいません。それは極めて純粋で神聖な時間になる瞬間なのです。
航海
1978年、エディは不運ともいえるホクレア号の2回目の航海に乗船しました。その航海は、ポリネシアンの祖先と航海の記録をたどるためのものでした。 ホクレア号はハワイ諸島の外洋の荒海で転覆し、エディは他の乗組員を助けるためにサーフボードで島に救助を求めに向かい、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。

ホクレア号は70年代半ば、ハワイの象徴、ハワイの文化、ハワイの人々 、全てを表していました。エディは他の約500人の若いハワイアンとともにホクレア号の航海に参加しなければなりませんでした。但し、実際に乗船できるのはその中の一握りの人間だけであり、その選ばれしクルーとしてエディは最終的に選ばれました。 それはとても誇らしいことであり、広大な海をホクレア号で航海できることにエディはとても興奮していました。
人気者
70年代半ばエディはサーフィンの大会へ参加するため、南アフリカ、南米、オーストラリアを旅しました。参加する大会の中でもエディの周りにはたくさんの人が集まり、人の輪の中心となり、人同士を結びつける人物でした。 闘争心が高まる大会のなかでも、エディはノースショアの仲間たちの中で極めて重要なキャラクターでした。
ヒーロー
エディがどれだけ思いやりを持って人に接していたかを想像できる人はいないと思います。エディは、多くの人に多大な影響を与えてきた伝説的な人物です。
“私は人生のなかで色々な経験ができた。世界最大のビッグウェーブでサーフィンをし、優勝をし、愛する妻と結婚しました。しかしエディはライフセーバーとして数千人の命を救っただけで終わってしまった。もしエディが生きていたら、もっと新しい冒険をし、新しい何か、そして素晴らしい世界をハワイと家族にもたらしたに違いない。”とクライド氏は語っていました。
"EDDIE WOULD GO"
クライド氏は“Eddie would go” の意味について説明してくれました。
“Eddie would go” はサーフィンだけに使われる言葉ではありません。"Eddie would go“はどんな状況、どんな人にも用いることができると思っています。誰もが成し遂げていないこと、誰もやっていないことをする時のために使われます。例えば、海で誰かが助けを求めていたら、エディはすぐ行っただろう。ワイメアベイで大きな波がきたらエディは行っただろう。人々が何かにチャレンジする時に、誰かが助けを必要としている時、勇気をだして一歩を踏み出すための応援する表現として使ってほしいと願っています。 ハワイに住んでいる人、観光でハワイを訪れた人、そしてサーファー、ライフサーバー、エディに関わる全ての人へ伝えていきたいと思っています。
ワイメアベイ
ワイメアベイは、アイカウ家の自宅のようなものです。1967年にエディが記録を作る前から歴史は続いていました。

カフナ・ヌイ・ヘワヘワは、エディの偉大な先祖です。カフナ・ヌイは、100年以上前にハワイの開拓と様々な事業を興していました。ハワイの伝統的な生活と文化、農業植物、銛釣り、建築、伝統的なヒーリング療法と自然薬療法などのエキスパートとなり、ハワイの王様にアドバイスを求められる人物でもありました。
ヘワヘワ家は、ワイメアのサトウキビ畑、ワイメア滝、ワイメア渓谷とワイメアベイの管理を全て委託されていました。ワイメア一帯を一族で管理し、守っていたのです。 そして時は経ち、1967年 - エディがワイメアベイの最初のライフガードとなり、世界最大の波を制覇しました。それはエディの祖先から受け継がれた証だったのかもしれません。
サーファーズサークル
サーファーズサークルは、ワイメアベイでセレモニーの日に行われる伝統的な祈りです。招待されたサーファー達がパドルアウトし、円を作り、グループとなり、友情とつながりに感謝し、祈りを捧げます。

クライド氏は、“私はこのセレモニーで参加者が一つとなり、ワイメアベイのこのイベントに大きな波を引き寄せることができると感じています。しかし、それよりもさらに重要なことは、この大会に参加するサーファー達の心と体がつながり、共に支え合うことです。そして偉大なエディ・アイカウを共に称えることです。エディがたくさんの命を救い、そして人を救うために人生を全うしたエディの思いをこのイベントを通じて語り続けたい。”と言っています。
ビッグウェーブの歴史
「基本的なビッグウェーブライディングの方法は以前から変わっていません。ビッグウェーブに乗りたいという強い思い、そして技術を常に向上させ、限りなく最高の状態であることが必要です。 そのために多くの時間を費やし、肉体的にも精神的に最悪の状況を乗り越えることができる深さと強さを持ち合わせる必要があります。それらが伴った時に、大きなワイプアウトを乗り切る助けになると思います。」クライド・アイカウ談。
1943年
ワイメアサーフィンの最初の記録は、ディッキー・クロスとウッディ・ブラウンが、サンセットビーチからワイメアベイに向かってパドルし、巨大なうねりから急速なスピードで発生した40フィートの大波が海岸に打ち寄せられ、クロスはその時に亡くなりました。
1957年
シールビーチのライフガード、ハリー・シュルツは10〜15フィートの波をとらえた。その日、うねりは20フィートに向かって上昇し、マカハではグレッグ・ノール、マイク・スタング、ミッキー・ムノス、デル・キャノンとビン・コープランドも20フィートの波をとらえた。 彼らのセッションは、ワイメアの紹介写真としてバド・ブラウンによって撮影され、世界中に紹介された。
1958年
カリフォルニア出身のピーター・コール、リッキー・グリッグ、パット・カレンはワイメアの20フィートオーバーの波を捕らえた。
1966年
エディの初めてのサーフィンは、ワイメアベイではじまった。彼はここから12年間、ワイメアの最初の公式ライフガードとして人々の安全を守り続けた。
1967年
11月19日、エディ・アイカウはワイメアで世界最大の波に乗った。30フィート以上の波を何度も何度も完璧に乗り続けた。
1970年代
サーフィンの大会がテレビで放映されるようになり、サーフィンは、一般的にライフスタイルの一部になっていく。ワイメアベイは、ビッグウェーブの象徴として知られるようになり、たくさんのサーファーがそこで名をはせるようになった。マイク・ディフェンダファー 、オウル・チャップマン、リノ・アベリラ 、サム・ホーク、ダウニング、コール、グリッグ、キモ・ホリンガー、バジー・トレント、ホセ・エンジェル、アイカウ、 ケアロア・カエオ、タイガー・エスパーレなどがそうだ。
1978年
3月16日。エディと乗組み員達が乗ったホクレア号が夜に転覆した。エディは仲間を助けるためにサーフボードで島に向かったが、帰らぬ人となった。
1985年-1986年
初開催の「エディ」コンテストは、エディが1977年にデューク・カハナモク・インビテーショナルを獲得したサンセットビーチで開催された。その翌年ワイメアベイに移った。
1980年代
ワイメアベイからサーフボードの新しい基準が生まれた。今までの、テイクオフからスタンディングクルーズのスタイルから、カービングターンを取り入れた革新的なマニューバーが見られるようになった。 ブービー・ジョーンズ、トミー・ネリス、リチャード・シュミット、 ブロック・リトル、クライド・アイカウ、ケン・ブラッドショー、ロジャー・エリクソン、マーク・フー、デルナー、トニー・モニス、チャーリー・ウォーカー、アーロン・ナポレオン、マービン・フォスター、ミッキー・ニールソン、ボビー・オーエンスとジョニー・ボーイ・ゴメスなどが台頭した。
1990年代
ビッグウェーブに乗るために様々技術が開発された。成長著しいグローバルサーフィン業界では、本格的なワールドツアー、波の予測、ジェットスキーなど、新しいサーフィンを広めるためにイベント、テクノロジーが生まれた。ノア・ジョンソン、ロス・クラーク・ジョーンズ、トム・キャロル、トニー・レイなどが活躍した。
2000年代
更なる進化。ワイメアベイの大会はたくさんの人を魅了させるイベントへと進化し、若者やカップルたちが訪れるビッグイベントとなった。ブルース&アンディ・アイアンズ、グレッグ・ロング、ケリー・スレーター、シェーン・ドリアン、マーク・ヒーリー、ラモン・ナバロ、コール・クリステンセンは、新しい時代を築きあげた。
THE CHAMPIONS
DENTON MIYAMURA
1985/86
(Hawaii)
Inaugural winner, event held at Sunset Beach.
CLYDE AIKAU
1985/86
(Hawaii)
First event at Waimea Bay, onshore 20-foot surf, Feb. 21.
KEONE DOWNING
1989/90
(Hawaii)
Late January, wave heights 25-foot plus. Keone Downing surpasses a crazy tube ride from Brock Little and a perfect wave score from Richard Schmidt to win.
NOAH JOHNSON
1998/99
(Hawaii)
The smallest invitee (5'3") was unstoppable in some of Waimea's biggest waves ever, on New Years Day.
ROSS CLARKE-JONES
2000/01
(Australia)
The event ran January 12, in 20-foot-plus surf. Ross becomes first international surfer to win.
KELLY SLATER
2001/02
(Florida)
On January 7 Slater proved that his supreme status is not limited to the ASP world tour as he fired in 20-30 foot waves.
BRUCE IRONS
2004/05
(Hawaii)
On Dec. 15, Bruce won with a ride to the sand that culminated in a mind-blowing, crowd-roaring closeout barrel to win the 20th anniversary event.
GREG LONG
2009/10
(California)
On Dec. 8, gnarly 25 foot surf lifted Long to the winner's dais in the final heat of the day. Eddie captures the attention of the globe, registering the highest international media pick-up of any surfing event in history. Record crowd of more than 30,000 lines the beach, cliffs and roadside.
John John Florence
2016/02
(Hawaii)
In massive waves, John John skillfully to stylishly surfed his way to an even more massive win. It kick-started the year that lead him to his first ever World Title.