大会の歴史 History of the Quiksilver in Memory of Eddie Aikau

ザ・クイックシルバー・ビッグウェーブ・インビテーショナル・イン・メモリー・オブ・エディー・アイカウのイベントディレクターであるジョージ・ダウニングの世に知られた声明。「ザ・ベイ・コールズ・ザ・デイ(ワイメア、その湾に集うべき日)」。 その集いは、過去16年間で、たった6度しかなかったものだ。それはまた、海であるがゆえに、特別なイベントとして決定づけられてきたのだった。

その勝者達には、クライド・アイカウ、ケオニ・ダウニング、ノア・ジョンソン、ロス・クラーク・ジョーンズ、ケリー・スレーター、そして、ブルース・アイアンズが名を連ねる。いずれにも、海では並外れた力を持つものばかり。どの勝利も、ワイメア・ベイが、「ピークデイ(本領を発揮する日)」に、パドル力、身体能力、波の選択眼、道具、自信と勇気、その全てを達して獲得されたものだ。

ザ・クイックシルバー・ビッグウェーブ・インビテーショナルは、それ以前は「ザ・エディー・アイカウ・メモリアル」という名で知られていた。それは10フィートの美しい波の中、サンセット・ビーチで1986年に開催され、ローカルのデントン・ミヤムラが優勝したものだった。それはそれで、楽しまれたものではあったが、クイックシルバーのブルース・レイモンドとボブ・マックナイトは、サーフィンの真髄を伝える大会にしたいと考えていた。そして、アイカウ家の協力によって、今日ある劇的で、厳かな試みを結実させていった。ハワイに訪れる冬、毎年選抜された招待者の枠を設けるのだが、ビッグウェーブのエキスパートや世界トップクラスのサーファーから選ばれた誰もが、ワイメア・ベイに3ヶ月間のウェイティング期間が始まることを心待ちにする。そして、もし(ワイメアの)湾に集うべき日が訪れれば、必ずそこにいたいと。

そして始まった大会は、クライドが感動的な初代優勝者に輝いた。
1987年2月21日、オンショアの中の20フィートの波で、エディーの弟であり、もっとも愛すべきサーフィン仲間であった彼が最高の栄誉を得たのだ。勝利を決めたライディングのちょうど前に、水面に大きな亀が現われてエディーの魂に導かれたのだと、後にクライドは語った。

その3年後、オフショアを受けた25フィートを超える波は、絶え間ない究極のビッグウェーブへの試みを描く、すさまじいキャンバスそのものだった。 1990年1月末、「エディー」の招待者たちは、この究極の波の中へパドルアウトすることは、巨大で灰色の波の表面を卓越したライディングをすることだと、どのヒートでも証明した。中でも、ひと際眼を引いていたのが、ブロック・リトル。オフ・ザ・ウォールのようにチューブを攻めるライディングと30 フィート近い波に必死のテイクオフを試みた。そして、リチャード・シュミッツは、「マジックカーペット」のような空中落下を決めて、パーフェクトな最高得点をたたき出した。そんな中、誰よりも冷静であったのが、マカハのケオニ・ダウニングだった。素晴らしい波を選び、常に良いポジションから波に乗った彼が、最高の賞金50,000ドルを手中にしたが、まさに甲乙付けがたく互角に讃えられるべき1日であった。

エディ、その日は訪れることなく10年近くの歳月が流れていった。荒れ狂うようなウネリが、12月29日の夜半に届くが、半日ほどしか続かなかった、そんな悩ましげなメッセージが送られたのが1995年。そのウネリは、2つのラウンドを行う「エディー」のコンペティションのうち、ひとつ分しか続かなかったのだ。落ちついたウネリを前に、ジョージ・ダウニングは、残り半分をそのシーズンの別の日に期待をかけた。しかし、その日は訪れることはなく、賞金は参加者の間で分配された。

皮肉にも1998年は波が大きすぎた。エルニーニョ現象による巨大な嵐が島を波でたたき、ワイメアですら、それに耐えうることはできなかった。1月28日には、ダウニングと招待者たちは、湾がクローズアウトする前から、何時間も続いた30フィートを超える波をただ見守るしかなかった。 1999年、新たなビッグウェーブ・ライディングの時代を祝福するかのように再びドアが開かれた。ビッグアイランド出身の恐れを知らないサーファー、ノア・ジョンソンは、クライドやケオニらのビッグウェーブ・サーフィンで一時代に名を残した者とは、明らかにちがっていた。

1999年1月1日、がっしりとしたノアの影がその日一番大きな波を捕らえた。その結果、彼は、このスポーツ史に偉大な名前たちと名を連ねることになり、「エディー」では初めて30歳以下で優勝したサーファーとして名を残したのだ。

2001年1月12日、ひとりの絶え間ない忍耐が実を結んだ。オーストラリア人のロス・クラーク・ジョーンズは、それまで14年間に渡り、栄誉ある招待者として名を連ねていた1人だった。彼が勝利を渇望していたことはよく知られていたが、この日、20フィートを超える美しい波に4回もの素晴らしいライディングをし、ついに彼のゴールへと至ったのだ。精神的なことを口にするような彼ではなかったが、その日一日を通して自分の運命が築かれるような不思議な感覚を感じていたと語った。そして、エディーの魂に導かれた勝利を話すクライド・アイカウが意味することの良き理解者となったのだ。

ワイメア・ベイに再び大波が戻ってきた2002年1月、現代サーフィンの最も偉大な記録を残すケリー・スレーターが勝利に輝いた。マウイから戻った翌朝、ケリーは最も劇的な舞台へ共に出場する仲間たちと駆け上がる。プロサーフィンでは年間タイトルを6度獲得していても、この栄誉ある賞はあまりにも特別だっただけに、スレーターにとって優勝は驚きだった。「フロリダからやって来た時は、自分がビッグウェーブサーファーになるなんて思いもしなかったよ。世界中に、素晴らしいビッグウェーブサーファーは大勢いるけれども、このイベントに出場できる人はごくわずかだね・・・。自分にとって、いつまでも誇りになることだと確信しているよ」と、コメントを残した。

2004年のウェイティング期間はとても短かった。オープニングセレモニーからわずか9日後、コンテスト・ディレクターのジョージ・ダウニングは、競技者たちにスタンバイ(臨戦態勢)をコールした。そして、目覚ましのアラームを必要としなかった12月15日、エディーは「決行」したのだ。25フィートから 40フィートのウネリがとどろく中、競技者たちは夜明けを迎えた。2日前に警告が出ていた為、まだ日差しが差し込む前からワイメア湾は観衆やフォトグラファーで埋め尽くされていた。

20,000人と見られたノースショアでは記録的な群集と、抜けるような晴天の中、コンテストはスタートした。この日、カウアイ出身の25歳、ブルース・アイアンは、大胆なパフォーマンスを披露する。世界チャンピオンの兄アンディの影から飛び出し、これからの彼の更なる活躍を語るように脚光を浴びたのだ。彼にとっては初めて湾に出た経験で、人生で最大の波の中、ブルースは再三再四、大きなセットの淵から身を押しだしていった。最も脚光を浴びたのが、満点100ポイントを叩き出したライディングだ。はるかアウトサイドから35フィートを超える怪物的な波に危機的なテイクオフに成功し、美しい孤を描きながら湾を縦横無尽に抜けて、ブルースは重厚に岸を叩くショアブレイクの前まで波を乗りつないでいった。観衆から、どよめきと叫び声が響くなか、彼は加速して、骨をも砕く出口のないチューブの中へ頭の上へ腕を高々と挙げて入っていった。その瞬間は、幸運にも目撃した人々にとって忘れられないものとして、いつまでも心に刻みこまれることであろう。「想像したことすらなかったほど、偉大なことだよ。ビデオや写真で、大きな波に乗ったサーファーの断片を見ながら、僕は育ったのだから。自分の人生にとって、最大の波に乗ることが、エディ・アイカウのコンテストで名前を残すことになるなんて。何と言ったらいいか言葉が見つからないよ」とアイアンは語った。

2008年から09年への冬、いったいどんなことが起こるのだろうか? 気象予報士全員が、湾に集う日が来ることを予報することはない。
毎冬、ただイベントを待つことだけだとしても、大会の名前にちなんだ栄誉を感じるだろう。
ただ、ライダー自身はよく知っている。巨大な波が来きたときのために準備は整えておくことを。

ライター 永井巧

WHERE:
Waimea Bay, Oahu, Hawaii. Just as Hawaii is considered the birth-place of surfing, Waimea Bay stands as the birth-place of big-wave riding. In spite of a half-century of global surf searching, "The Bay" still stands today as one of the world's most challenging big wave venues. Waimea was where Aikau worked as the Bay's first lifeguard, saving countless lives.

Waimea Bay is also hallowed ground for Hawaiians. Atop its northern valley wall lies an ancient 'heiau' (sacred site) that offers a window to ancient Hawaiian times while overlooking the North Shore's most breath-taking view. This heiau was once the site of Hawaiian religious offering, sacrifice and important gatherings.

WHO:
Twenty-eight surfers will each compete in two rounds during the one day of competition. Depending upon the conditions, competitors will be allowed to ride three or four waves per heat in each round. Their four best scoring waves at the end of two rounds will make up their total. Those invitees will be announced later in the year.

大会優勝者 / WINNERS LIST:
1985 - Denton Miyamura (Hawaii)
1986 - Clyde Aikau (Hawaii) - Eddie Aikau's younger brother
1990 - Keone Downing (Hawaii)
1999 - Noah Johnson (Hawaii)
2000 - Ross Clarke-Jones (Australia)
2002 - Kelly Slater (Florida, USA)
2004 – Bruce Irons (Hawaii, USA)

WHEN:
オープニングセレモニー: 12月4日, 2008, 3pm, ワイメアベイ(現地時間).

Holding Period:
The complete holding period for this specialty one-day event is December 4, 2008 to February 28, 2009. Competition will take place on just one day, when open ocean swell heights reach the required minimum of 20 feet. Contest director George Downing will make the call. The decision will be based upon long-range ocean and weather forecasts and conditions at hand. If one full day of giant waves with favorable surface conditions does not occur during the designated period, the event will not be held, which means waiting 12 months for the next big wave season to roll around. Over the past 24 years, the event was held six times at Waimea Bay and once at Sunset Beach in the founding year of the event. Hours of competition are from approximately 8:00 a.m. to 5:00 p.m. on contest day.

WEBSITE:
Details on theThe Quiksilver In Memory of Eddie Aikau, including photos and event information, are available at quiksilver.com/eddie

About Eddie Aikau
Born May 4, 1946, Edward Ryon Aikau was the third of six children to a Hawaiian family. His life became one rooted deep within the ocean - a pioneering lifeguard, passionate big-wave rider, all around waterman and Hawaiian traditionalist. He was lost at sea during an epic voyage in 1978 when the double-hull voyaging canoe Hokule'a capsized in storm seas in the Molokai Channel, en-route to Tahiti. Aikau paddled away in a rescue attempt March 17, 1978. He was never seen again. His life is now legend.
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